ニューヨーク恋物語2
私が初めてYに会ったのは20年前。
私はニューヨーク で離婚をし途方にくれてたとき、、、
ある方が、珍しく、すごいビジネスがあるらしいよ?
今はオハイオにいるゲイのYにあってきたら?という、、、
その頃の私といえば、まだ、日本もバブルで駐在妻としてニューヨーク にいたので
ゲイ?の人などあったことなかった、、、し、どっぷりニューヨーク の日本人社会にいたので未知の世界。
ドキドキして行ってみると、Yとその時のボーイフレンドが一緒に住んでたオハイオの大きな1軒屋に泊めてもらった。
不思議な光景だった、、、、
Yはなかなかいけてる男らしい男なのに、エプロンして、ボーイフレンドの為にディナーを作ってた、、だけど、彼の気さくな面白い性格にすぐ溶け込んで、楽しんだ。
そして話すと変な古い日本語と英語のちゃんぽん。
あなた、汽車に乗ってきたの???
(え、汽車って何?地下鉄のこと??)
切符は?
え、チケットのこと?
恋人は?
人に会うとすぐに恋人を聞きたがる。笑
恋人?ボーイフレンドのことでしょう?
今時、恋人なんていう言葉を会話で使う人見たことない、、、笑
というのはYは40年間日本に帰ったこともなければ、日本人とも付き合い一切なかったのだ、、だから、日本語忘れてたのと、、古い日本語しか覚えてなかったんです、、、笑
そしてその時私はというとわざわざオハイオまで行き、
全財産100万円現金をそのビジネスに投資した、、
ら、なんと、
1ヶ月後にその会社が倒産!!!!!
全財産失うところから、Yと私の希妙な愉快な友人関係が始まった、、、
だけど、不思議にも、ショックでもなければ、Yを恨まなかったし、そこからどんどん、お金が入ってくるようになったし、どんどん運が開けてきた。
グリーンカードが当たったり、、、
良いことがどんどん起こった。
そして昨日までYと楽しい友好関係を続けてきた、、、
朝早く携帯がなる、、、、
だれ??
どうせYでしょ、、、
な〜に〜みたいな感じで、本当の兄貴みたいに気を使わずなんでも話したものでした、、、
Yは私と出会ったときはニューヨークから彼氏を追いかけてオハイオに一時住んでた。
家でアートスクールなんかもしてた
2度目オハイオに行くと20代のハンサムオハイオボーイがたくさんきてたのにはビックリした。
どこから見つけてくるのか??不思議、、、とYにいうと
当然でしょ〜!
の一言。
そして彼はお気に入りのMを紹介してくれた。
当時18歳かな?ブロンドのイケメンでした。今でも。
Yはハンサムが大好き。
顔が一番大切らしい。ハンサムでないとダメらしい、、
アーチスト視線なのかもしれない。
とにかく、美しい物が好きだった。
けれど、ブランドには全く興味ない。
むしろアンティークに行ってハンターするのが趣味
Yはこう教えてくれた。
ひとみさん
私はハンサムな男の顔が好きなんだ。
高校生の頃、日本でハンサムの男が好きだとわかった。
それから日本での生活は地獄だった。
当時の日本ではゲイなんて市民権ないし、変態扱い。
生きてるのが苦しくて、苦しくて、アメリカに行きたいと思った。
なのでまず東京に出る。
そこで当時はやってたペンフレンドに手紙送ったら、返事がきたらしいが、英語が分からなくて意味がわからなかったので、
新宿のゲイクラブに言って、(当時からあったんですね。ビックリ!)
外人を探し、手紙を訳してもらおうと思ったと、、、
そこにいたのが、現在のマンハッタンのアパートの持ち主だったEさん。
彼が手紙を読んで、
君はアメリカに行きたいのか?
ならば、私がスポンサーしてあげると言ったそうだ。
欲しいものはなんでもゲットするY!
そして60年前日本からシベリア鉄道でヨーロッパに行き、そこでEと落ちあい、ヨーロッパ中を旅してからアメリカに渡ったと、、、
まるでロマンスストーリー
そこから昨日なくなるまでそのアパートに住んでいる。
(オハイオには数年住んだがアパートはキープしていた)
その後Eがエイズでなくなり、Yが最後まで闘病生活を共にし、今のアパートを受けついだ。
そして、そのアパートが今度はイケメンMが受け継ぐ。
マンハッタン西は77丁目のナチュナリーヒストリーミュージアム近くの素晴らしい
DUPLEXのアパート。
彼の作品です。
色使いがとても綺麗で大好き。
ピュアな性格が出ています。
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